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ドバイ生活4年目の真実。

2025.09.09

約4年間暮らしたドバイに別れを告げ、2025年8月にマレーシアのクアラルンプールに移住した。移住の理由はいくつかある。再び新しい環境で挑戦しようと思ったこと。子どもの教育環境。ドバイで得たものが大きかったので一区切りしてもいいかな、という気持ち的なところもある。今年の春に決断。子どもたちの学校が8月からはじまるので、新学期に間に合わせるために猛スピードで頑張った。ビザの取得、法人設立、願書提出など、山のような準備を経て、なんとか新生活をはじめることができた。

このタイミングで、ドバイでの約4年間を振り返りたいと思う。膨大な事前準備も含めドバイ移住を本格的に開始したのは2021年。はじめての移住。しかも海外。そしてコロナ禍。いろんな壁にぶつかりながら準備を進めたことは今もよく覚えている。仕事しながら移住の準備。現地での適応。大変だった。だけど、移住してよかった!と腹の底から大きな声で言いたいくらい満足している。

よかったことはたくさんある。まずは、家族の絆が深まったこと。それぞれが新しい環境で、それぞれの日常がはじまる。知らない人だらけの環境。もちろん日本語も通じない。そんな中で学校に通うこどもたち。僕も僕で、普段出会うことのない経営者やビジネスマンと出会い、刺激と緊張感にあふれた日々だった。家族それぞれが頑張っている、ということがわかるからこそ、みんなで頑張れたんだと思う。

子どもの教育は一番良かったことかもしれない。うちの子どもたちは東京に住んでいる時からインターナショナルスクールで育ってきた。言語をはじめとして、文化や多様性など、良い環境で育てていたつもりだったが、やはり日本国内のインターと現地の学校ではぜんぜんちがう。いろんな国籍の子がいる。言語だけでなく、人種や宗教など様々なバックグラウンドの子どもがいる。「多様性を知る」のではなく「多様性を感じながら学ぶ」ということができるのは、海外ならではだと思う。

仕事での出会いも濃かった。ドバイで生きている日本人は、日本で一旗あげて出てきた人が多い。エネルギーがすごい。人脈もすごい。ドバイでいろんな人に出会って気づいたのは自分の小ささだ。というのは、「このくらいまで頑張ればいいかな」というような天井を自分に設けていたことに気づいた。僕が考えていた「成功」って、本当にちっぽけなものだったんだと思い知らされた。40歳前後というタイミングで学ぶことができて本当によかった。

よかったことだけじゃなく、辛かったことも正直に書きたい。環境は過酷だった。まず、暑い。6月から8月は40度超えるのはあたりまえ。日中外に出られたもんじゃなかった。そして、ごはんが美味しくない。生鮮食品の鮮度は日本とは比べ物にならないし、衛生管理もゆるい。お米に虫がいたり、豚肉が臭かったり。(ドバイはイスラム教国なので豚肉を食べない。よって、産地もなく、流通量が少なく、加工技術も流通体制も弱いので仕方ないことかもしれない) 僕は寿司や刺身大好きなのだが、全然ありつけない。でも、それでもやっぱり、ドバイに行ってよかったと思うのだ。

僕はブランド物にも興味もないし、そもそも所有欲といったものもない。だから、日本の田舎に住めば気楽だ。家賃も安いし、生活費も安い。子どもをインターナショナルスクールに入れるくらいの蓄えはある。美味しいお刺身だって食べて、そこそこいい暮らしができる。そういう選択肢もあった。でも、ドバイ移住を選択した。ところが、ドバイにいけば、一気にいちばん貧しい人になる。億万長者はあたりまえ。4桁億の人もたくさんいる。そして、お金の基準だけじゃなく、価値観やビジネスセンスなどすべてにおいて桁が違う。この現実を知らずに、日本でぬくぬくしていたら、どうなっていたんだろうと、正直思う。

新しい拠点である、マレーシアのクアラルンプール。とてもいい街です。食事も気候も生活環境もすべて気に入っています。次のブログでは、こちらの新しい生活についても書いていきたいと思います。

真武 大喜

マレーシアのランカウイ島 スカイブリッジでの散歩風景です