BLOG創業者ブログ
田んぼが教えてくれたこと。
2024.03.18
福岡の実家は先祖代々続く農家だ。農家は忙しい。食物は土から育つ。僕たちの口に入るまで、無数の工程がある。米の場合、まず苗を育てる。箱に土と肥料をつめて種を蒔く。水、湿度などに気を配りつつ、発芽させる。早めに光をあてると苗が痛むので少し育ってから光にあてる。光にあてると緑色になり苗はだんだん強くなる。こうして1ヶ月かけて苗を育て、田んぼの準備をして、ようやく田植えを迎える。田植えの後も、育成状況を確認したり、台風の心配をしたり、肥料まいたり、日々田んぼを見守りつつ過ごす。
稲刈りも田植えと並ぶ一大行事だ。上京して故郷を離れても、田植えと稲刈りの時にはよく帰省した。親戚も集まってみんなで汗をかく。みんなで頑張る。ちょっと生意気な言い方になるかもしれないけど、この苦労を知らない人には米にうまさを語らせたくないとすら思ってしまう。そのくらい僕は田んぼに誇りをもっている。
だから「食べ物を大事にする」ということは僕にとってはごく当たり前のことだ。小学生の娘たちもそれはよくわかっているようだ。帰省したら、田んぼの手伝いをする子どもたち。農作業をしながら祖母(僕の母)と話す彼女たちを見ていると、都会では学ぶことのできない「人生において大事なこと」をここで学んでほしいという気持ちが湧く。どんなに成功したとしても、食べ物を粗末にする人間にはなってほしくない。
小さい頃、おまんじゅうを投げて人に渡して、祖母に注意されたことがある。「食べ物だけは投げたらダメとよ。私が死んでも覚えとってね」と。祖母が亡くなっても心に残っている一言だ。傲慢になっちゃいけない。謙虚であれ。そう言われているように思った。食べ物に対する姿勢は、生き方にも通じるところがある。僕の母もそうだ。母の父が早くに亡くなってしまったために、母は貧しい暮らしを経験している。だからなのか、文字通り「地に足のついた」考え方をする。食べるものがないと、人は「生きる」ということをリアルに考えるのだろう。
ドバイにいると、生まれも育ちも全然違う生粋のエリートと出会うことがある。幼稚園から有名私立に通い、欧米の大学を出たサラブレッド。僕とはスタート地点が全然ちがう。つい最近も日本の大手総合商社の内定を蹴って、ドバイの不動産企業に就職した24歳と出会った。まだ若いのにすごい経験をしている。やっぱり生まれた家や場所は大きいなと思う。羨ましいなと思う。自分がいかに遠回りしたかも実感する。でも、僕はまったく後悔していない。農家の出身であることは、強みでもある。這い上がってきたぞ、という自信にもなる。
余談だが、竹中直人さんが演じたNHK大河ドラマの秀吉のオープニングが好きだった。田んぼの畦道を、幼き日の秀吉が走る。彼が走ったところだけがキラキラ光り輝くのだ。農民から天下人へ。百姓でも天下が取れるんだ。上京するエネルギーになった。
食といえば、食べることも好きだけど、料理も好きだ。料亭でバイトしていたこともあるので、皿洗いも得意だし、包丁も扱えるし、鍋もふれる。そういえば、20代半ばで会社を立ち上げた頃、お客様を呼んで懇親会のようなものを開いていたのだが、場所もないしお金もないので、自分たちの住む家のリビングでおにぎりを握ったりして、お客様をもてなした。食事をともにすることは、特別な時間を過ごすということ。あれから十数年のお付き合いになっているお客様もたくさんいる。食べ物がつなぐご縁は、これからも大事にしたい。日本はもうすぐ桜の季節でしょうか。自然の美しさを愛でつつ、食べる、飲む。日本の花見が恋しいです。
真武 大喜